"> 常識とは知識ではない
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  ヒダリと言うと、ミギと言う。・・・・ミギと言うと、ヒダリと言う。意識的ではないが結果的にそうなっている。互いの意思の疎通が○反対となっている。

 二人以上で何かをするとき、又は、あることを協力して操作行動する時、なにかしらの事前打合せが必要となるがそれを怠るか、してもそれをテーゲーにすると、上記のようなコメディタッチな行動、そして心の中で互いに罵りあうこととなる。

 素人が、リーダー風に祭り上げられての、リーダー的行動。リーダー的強制的指示は、なんとなく、他の者に強制がしづらい。特に対象者が目上の方の場合は、強く言いにくく、使いにくく、気を使う。儒教の弊害がこういった場面で思いがけず発生したりする。

 たとえば、進行方向に右と言えば、右利きなら、常識的にオハシを持つ手の方向となる。左方向といえばお椀を持つ手、右手のヘルプ的存在であり、車のギヤチェンジに使う左手の方向だ。



 しかし、常識的単純行動、瞬間の判断、瞬間の操縦時は、危険が迫ったり、おもわぬハプニングが起こった場合、指示者も操縦者も、互いに○反対の行動をとる。経験不足、初心者同士の集まりの場合、特にそういったケースとなる。

「 常識とは知識ではなく考える力である 」。・・と昔の偉い人は言った。・・・・違う。それは、ちと違うとワタクシは感じる。

「 常識とは知識ではなく感覚的瞬間的な常識的判断力である 」。・・・・・・・・・とワタクシは思うのでございます。



 判断力は、永遠なる学習であり、反復であり、傾向と対策である。瞬間的な判断力とは、状況に応じての適切な処理の訓練であり、反復であり、引締ったガタイと体力と精神的持久力である。

 ちとばかりオールを漕いでは、やれ腰が痛いの、やれ坐骨神経痛だの、やれビールが飲みたいのと弱音を吐くやつは「 去れ!! 」・・・とワタクシは言いたい。

 互いの意思の疎通とは、事前に常識的に互い理解した。ということである。その為には、行動前の打ち合わせ、段取り、作動状態の確認、操作行動の前の用意周到成るスタンバイが完璧に互いに出来たということではないでしょうか?。・・・とワタクシは思うのです。



☆ 因みに、ワタクシは、腰痛持坐骨神経痛持麦酒大好痛風持根性無的好好加減持である。

  

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